寸止めルールを採用した伝統空手と、フルコンタクトの空手。これから空手教室を選ぼうとする方にとって、その二つの違いに戸惑われる方も多いでしょう。そんなあなたの為に、こちらの空手動画サイトを用意させていただきました。動画で空手の違いを知ってもらえれば幸いです。
沖縄伝統空手は、首里手、泊手、那覇手の系統がありますが、 北京・北派拳を取り入れたのが、首里手、泊手、福建省・南派拳を取り入れたのが、那覇手と伝えられています。
動画で紹介しているナイハンチ初段は、松村宗棍(1809年 - 1899年)が北京より持ち帰った中国拳法を改良したものと伝えられており、 横一線上を左右に動くこの型は、身体の要である腰を鍛えるのに最適な型と言われています。
体に武器を帯びず、「徒手空拳《。手と足を組織的に鍛錬して、あたかも武器のような威力を発揮させ、身を護り、敵を倒す。沖縄古来の武術。それが空手です。
沖縄県教育委員会がまとめた「空手道、古武道基本報告書《。その表紙の写真には、首里城正殿前で空手の指導を受ける生徒の姿が映っています。門外上全の秘伝武術として沖縄に生まれ伝承されてきた空手は、明治になって一般に公開されるようになりました。師範学校や県立一中でも空手指導が始まり、日本、そして世界に広がるきっかけとなりました。
空手の源流を遡ると、琉球王国に辿り着きます。中国伝来の拳法に琉球古来の武術「手・ティー《が融合し、発展した唐手が原型と言われています。空手は型の鍛錬だと言われます。明治になってそれ以前の型を改良して体育空手にしたのが王府の役人をしていた糸洲安恒でありました。糸州の考案した型の元になったのが、首里手と呼ばれる型でした。当時は技法的な型の特徴や伝承された場所にちなんで、「首里手《、「泊手《、「那覇手《とか呼ばれていました。技法的に似ている「首里手《と「泊手《は中国北京や内陸系(北派拳)、「那覇手《は中国南部福建省(南派拳)の流れを組むといわれています。
糸州の考案したナイハンチは首里手の代表的な基本型として伝わっています。横一線上を左右に動く身体の要である腰を鍛えるのに最適な方といわれています。糸州の考案した型は正規の体育空手として学校教育に取り入れられました。糸州の弟子からは逸材が多数輩出し、彼らによって首里手が本土へと普及しました。戦後は組み手の改良が進み、急速に海外へと進展していきました。